(元・現)エホバの証人のための相談室

ピア・サポート 「陽だまり」

■事例

元・現エホバの証人が悩む事柄

信仰
ハルマゲドンは来ますか?

「ハルマゲドン」は聖書にたった一回しか出てこない言葉であり、その意味についてはいろいろな解釈があります。エホバの証人の解釈もその一つに過ぎません。ですからエホバの証人が言うところの「ハルマゲドンがもうすぐ来る」という考えは一つの考え方であり絶対に正しい考え方かどうかはいろいろな意見を聞いて、もう一度考え直す必要があるかも知れません。


罪悪感があります。

エホバの証人の考え方は多くの人は二元論的、もしくは白黒思考と考えています。すべて自分たちが正しく、自分たち以外の考え方や生き方は間違いであり罪であると捉えるのです。ですが彼らの考え方も全てが正しいかどうかは疑問の余地があるでしょう。彼らの生き方に従わないことを罪と考える見方は多くの人に受け入れがたいものです。また特に人間の持つ基本的欲求である性に関する事柄で罪悪感を持つケースも多くあります。エホバの証人の性に関する見方は公平で、現代の状況にあっているのか疑問視する見方もあります。ですからエホバの証人だけの善悪観で自己評価するのは自分を罪悪感で苦しめる危険が高くなります。


聖書は正しいのですか?

これについては各自で考える必要があります。正しいとエホバの証人が言っていたから正しいと信じるという他者に判断を任せるような態度はあまりよいものではないでしょう。正しいかどうか自分では分からない場合は態度を保留する勇気も必要かも知れません。


今でも長老・研究司会者が戻ってくるように言ってきます。

これは最終的には自分で判断しなければなりません。彼らは自分たちと同じ考えであることを要求することを正しいと考える人たちです。しかしその考えに自分が同意できないなら従う必要はありません。

生活
自分の望む仕事に就けません。

理想的な職業に就くということはエホバの証人以外の人にとっても難しいことです。ましてやエホバの証人の場合最初から、自分の望む職業に就くことを希望すること自体間違った考えであるかのように扱われます。そして十分に準備することも考えてさえいないかも知れません。一つは自分の望む職業に就こうとするための方策を講じること、またもう一つは自分の望む職場環境にできるよう現在の仕事でもいろいろな工夫をすること。何が最善かはその人の要求と現状のギャップによります。そのギャップをいかに埋めるか、どこまでで妥協できるか考えてみるのはどうでしょう。


学歴がありません。

高等教育の否定というエホバの証人の考え方、また周りの信者や長老の考え方によって多くの若者がこのような悩みを持ちます。学歴という概念については疑問を持つ人も多くいます。例えば最終卒業学校は生涯教育が進んだ現代ではあまり意味がない、あるいは社会にでて学んだ事柄の方が大きいと考える専門家もいます。しかし現実には最終学校の履歴は有利という現実もあります。それで新たに進学することや留学なども一つの選択肢として考えることができるかもしれません。


職場になじむことができない。

エホバの証人内で築いた人間関係と職場など一般社会での人間関係との差にとまどいを覚える人は多くいます。一つは時間が解決することもあります。また職場でも多様な人がいますから、自分もその多様な人の一人として開き直ることもできるかもしれません。


生活の楽しみ方が分からない。

エホバの証人時代趣味にあまり時間も割けず、何をやってもうまくできないことを悔しく思う人は少なくありません。でももし興味があることがあればとりあえず試してみることはどうでしょう。


アルバイトのような仕事しかできません。

長い不況と企業の就業者の構成の問題によってアルバイトは非常に増えています。しかもアルバイトを続けるうちに正社員になることがますます難しくなると言う現実があります。しかし正社員になる道が全くないわけではありません。幾つかチャレンジする方法もあります。例えばアルバイト先で正社員として働ける道があるかどうか確認する、資格取得や学校に通う、などできるかもしれません。


失業しています。

まずハローワークなど公的な機関を積極的に活用しましょう。 また一人での就職活動はめげてしまうこともあります。同じ状況の人やかつてそうだった人の体験など意見交換を行うのも手です。

家族
信者の家族とうまくいかない。

まだ信者としての信仰を押しつけてくる場合もあります。その場合、自分には選択の自由があることをとりあえずは主張する必要があるかも知れません。しかし、家族はその自由を認めないことも多々あります。しかしたとえ家族と言えども個人の信教の自由を侵してはいけないはずです。しかしたとえ家族がそれを受け入れなくても自分の意思をはっきりと表明することは大切です。


家族と縁を切られた。

これも多くあるケースです。特に脱会届を出すなど自分からやめたときによく生じる問題です。このことについてご自身の気持ちを話すチャンスがあれば話してみて下さい。無い場合でももしコミュニケーションをとりたいと思うのであれば手紙など出すことができるかもしれません。


体罰などへの怒りが今でも消えない。

もしできるならその感情や怒りを直接話すことは必要なことかも知れません。


反対者だった家族と今でもわだかまりがある。

自分を信頼してもらえない、未だにマインドコントロールが解けていないと思われている、などあるかもしれません。しかし自分の意思を尊重してもらう必要はあります。

将来
普通の幸せな人生は歩めそうにない。

エホバの証人時代の将来への悲観や、準備してこなかった備えなどが影響し、満足な教育、職業また結婚や家庭生活を送ることさえ難しい状況かもしれません。そのような状況の中、一つ一つの問題が重なっていて脱することに困難を覚えるかも知れません。しかし一つずつ優先順位をつけ、また自分の持つ利点を組み合わせ、最善の方法を探ってみることはできるかもしれません。最初から諦めることはありません。


どうしても将来を悲観して見てしまいます。

将来のハルマゲドンや現実の状況から将来を悲観してみる場合が多いのは事実です。しかし、悲観するという物事の見方は必ずしも現実的な将来に対する態度ではないということを知っておくことは大切かも知れません。将来への行動は個人の力でもある程度変えられるものですし、ハルマゲドンなどの悲観的見方にも根拠があるわけではありません。

性・結婚
性の不道徳で排斥になりました。

性に対するエホバの証人の態度は現状を無視したあまりに厳しすぎるものです。民主的な社会で性に関する行動の決定権と責任は個人に所属すると言うことをきちんと理解しておくことは重要です。


やけになって誰とでも性関係を持ってしまいます。

罪悪感を抱き、ちょうど反抗期のようにエホバの証人で罪とされていたものに積極的に身を委ねることもあるでしょう。性の行動はあくまでもその人の判断と責任といえますが、罪悪感や自暴自棄によってそのような行動を行うのは悲劇かも知れません。まず自暴自棄になることはないこと、罪悪感は強制されたものであること、そして自分自身に誇りや自信を根拠がなくても持つこと、など必要かも知れません。


性に不安があって好きな人とも性関係を持てません。

上記とは逆に性について罪悪感から萎縮するケースです。上記とまったく裏表で本質的な部分はあまり変わっていません。


性を汚いものと感じ、性欲がある自分にも嫌気がさします。

性そのものは極めて中立的な事象です。汚さや美しさで単純に割り切れるものではありません。また性欲は人間に必要なもので自然なものです。それを抑えさせることは逆に不自然であるかも知れません。


異性とうまくつきあえません。

異性と普通に付き合う経験の不足はあるかも知れません。しかし一般の人もこの点は悩みの追い問題で上手にできる人を羨望の目で見ているものです。失敗を恐れずに少しずつ挑戦する勇気を持ってみましょう。


普通の人と結婚できるか不安です。

価値観の違いから結婚を躊躇したりエホバの証人の家族と相手の家族が付き合うことが難しいと思うかもしれません。しかし価値観の違う家庭出のカップルはロミオとジュリエットの話だけでなく一般でも多くあることです。それらが原因で結婚生活が失敗するわけでもありません。それ以外の人間的な要素のほうが大きいのです。


付き合っている異性に過去のことが言えません。

これは勇気のいることかもしれません。もし結婚まで考えているなら、ある程度言っておくのは相手にとっても自分にとっても本音が言いやすくなり、お互いのことを深く知る助けになるかも知れません。

感情
親や宗教に恐怖を感じます。

昔の懲らしめや権威の力によって親や宗教に非常な恐怖を感じるかも知れません。一つは親や宗教を相対化すること、つまり他の人たちと変わらない何ら特別なものでないと理解すること。また自分に力があることを信じること。これらは恐怖感に打ち勝つ原動力になります。また知は力なりとも言うように知識や情報をできるだけ取り入れることはこれら恐怖感に対抗するベースのようなものになります。最後に自分自身に対する愛、自分は貴重で、大切で、自分自身を守るのは自分であるという強い気持ちは恐怖感を取り除く最大の要素です。


親や宗教にやり場のない怒りを感じます。

怒りを感じるようなことをされたので当然といえるでしょう。それを抱くことまた表現することを抑えてはなりません。それを表出することが問題になると言う人もいますが、逆で怒りを抑え爆発寸前まで自分を殺してしまう方が後々大きな問題になると考えられます。安全な場所でそれらをきちんと表現することは重要です。

人間関係
孤独です。

エホバの証人内部でしか人間関係を築かなかった方ですとこのような問題にぶつかるでしょう。ただ人が大きく成長するとき自分を見つめ直すとき、孤独であることが必要なときもあります。多くの偉人といわれた人々が後世に残る偉大な考えをまとめたのは人生の孤独な時期が多いのです。また一般社会で人々と慣れれば少しずつ孤独は解消して行くでしょう。それまで自己陶冶の時期と割り切り孤独の時期を有効に使い、少しずつ一般の人々になじんでいくのはどうでしょう。


人間関係が希薄です。

共通の話題や経験がないため、かつてのエホバの証人の仲間ほど突っ込んで深い話ができないと感じるかも知れません。ただそれも時間とともに共通の話題と経験は増えていくものです。また元エホバの証人と接触することも突っ込んだ話ができる可能性が高まります。そのようなコミュニケーションの場は定期的に設けられています。


一般の人に理解してもらえません。

エホバの証人の問題は理解するにはあまりに複雑であり、一般の常識から外れています。それを真剣に調べようとする人でさえ戸惑うような内容なのです。この点は理解しておくことが必要です。ですからあまり深い理解を求めるのは賢明ではありません。ただ理解できる人々もいます。それは元エホバの証人で現在一般の社会で活躍している人々です。そのような人であなたを理解したいと思う人は多くいます。



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Copyright©2006. JW peer support. 更新日:2006/08/13